⑦泣き場所オーナーの編み物
店のコーナーでオーナーの今日子は、ほぼ毎日毛糸で編み物をしている。
10センチ四方のモチーフを、暇をみつけては編む。
この泣き場所を経営し始めてから二十五年が過ぎた。
今日子は八十三歳になった。
そろそろ、店をたたむか、誰かに経営をゆだねるかを思案するようになっていた。しかし、もう一度、再会したい気にかかる少年がいる。
“わかるもん”初代を勤めたかずちゃんは、今日子より5つ若い。もう介護福祉士や、公認心理師の仕事をやめて、エッセーやら、児童向けの物語を書いては、様々なところに応募している。本屋大賞をいくつか捕った。たいしたものだ。そして、作品を泣き場所の本棚にも置いてくれる。
筆が止まると、ここにやってきて、「今日はお誕生ケーキのおこぼれはある?」と尋ねては、「あるよ。」と答えると、ブラックコーヒーかストレートテーをオーダーする。「ないよ。」と答えると残念がって、「甘いココア。」を注文する。「こどもみたいなオーダー。」と今日子は冷やかす。
すると、かずちゃんは「ココアの香りは、昔の相談相手が良くオーダーしたから、その甘い香りを浴びると物語のヒントが湧き上がってきそうなの。」と言った。
そして、“わかるもん”の着ぐるみで昔相談を受けた子供達を回想する。児童向けのお話は、その時の相談相手に読んでやりたいという想定の中でドンドン膨らむのだという。
信さんも孫を連れて、かずちゃんの作品を借りに来たりもしていたが、その孫は大人になった。そして、時折、孫の運転する車に乗せてもらって、顔を出してくれる。
かずちゃんとは、直接の関係もできていて、最近はひ孫のためにかずちゃん直々の本をサイン入りで買い求め、読み聞かせをして暮らしている。
店を閉めずに待つ少年の話をしよう。
営業しはじめた昔、光子と言う女性の利用者がシングルマザーになろうとしていた。婚約者の男性が突然の事故でなくなり、その時には彼のこどもを懐妊して三ヶ月になっていた。
彼女の親は、その悲しみを理解しようと努力したが、堕胎が可能なうちに決断して、新しい出会いに期待するべきだと願った。
婚約者の親は、彼女の決意と選択に感謝の気持ちだったが、年老いていて十分に支えてあげられないと思っていたから、やはり堕胎を促した。
そんなわけで、彼女は家族の元では泣けなくなった。家族の意見を聞かされるとよけいに泣きたくなった。そしてこの泣き場所のリピーターになったのだ。
オーナーの今日子は優しく見守る事と、毛糸でモチーフを編むことしかできなかった。生まれてくる彼女の赤ん坊にモチーフをつなぎ合わせて、おくるみを編んでお祝いにやった。
彼女は妊娠初期には看護士をしていたから、給料もあった。しかし、出産後はこどもを預けるところを見つけるのに苦労した。そして、何度もここを利用して泣いた。幼い息子を何度か連れてきた。そして、男の子の誕生日を今日子は一緒に祝ってやった事もあった。十一月四日が光子の息子の誕生日だと聞いていた。息子には光子の婚約者の名前と自分の名前から一文字ずつとって雅光と名前をつけた。
雅光も、この場所に来たなら、覚えているかも知れない。
彼の誕生祝に直径15センチのホールケーキを焼いたのがはじめてだった。光子と雅光と今日子の三人で、三才の誕生日祝いをした。
雅光はハッピーバスデーの歌を可愛く歌えた。
「上手だね。お歌。」と言って拍手すると雅光もまねして拍手した。
今日子はそのお祝いケーキをきっかけに、他の利用者の誕生日も知ることがあるとカレンダーに記録した。そして、その日に誕生祝のホールケーキを焼いた。しかし、本人の利用がない事の方が多い。
その日に本人が来ないケーキは翌日の利用者に振舞ったり、家族や、“わかるもん”の家族に食べさせた。“わかるもん”も世代交代していったが。
一昔前には、その光子が過労で倒れた。常連の光子の力になってやりたくて今日子は少し蓄えを持って入院先に見舞いに行った。しかし光子は見舞金を遠慮した。当時雅光は10歳になっていた。
そして、彼女の入院は長引き、来店が遠のいて一年が経過しようとしていた。
彼女の息子の事を、彼女の両親は心配もしていて、彼女も雅光を一時預けることにした。
しかし、雅光は、母親が自分を出産するのを他の家族からは否定されたことを、昔聞かされた記憶がぼんやりある。
「母さんあなたが生まれてきてくれて、嬉しいのよ。今までやってこれたのは、あなたを育てなきゃという使命のおかげ。だって、何を目指して生きればいいかわからなくなったと思うの。でも家族には頼りたくなかったのよ。意地張ってあなたにも苦労かけてごめんなさい…。」
母親は彼を生んでから入院予約するまで実家を訪ねていったことはなかった。幼い彼は、将来に対して経済的な不安もあり、今現在は情緒の不安定さも持っていた。
自分は生まれてきてほんとうに良かったのだろうか?
自分が生まれてこなければ、母は過労で倒れたりはしなかったのではないか?
でも母が周りの反対を押し切って勝手に生んだ。僕は悪くない。そういう思いがぐるぐる回って答えが出ないでいるのだった。
そうしているうちに、彼の母親が他界してしまった。
この悲しみを新しい家族にぶつけられずに十一歳の孤独な誕生日を迎えた。彼は母親の実家にそのまま引き取られていた。
彼の祖父や祖母は、十一歳の彼の誕生日を正確には知る機会がなく、お祝いしてやりたくてもできないでいた。
彼も、自分の誕生そのものが母の苦労の原因ではないかと思うと苦しくて仕方がないのだった。
そして、聞かれもしない誕生日を他の家族にわざわざ言う事もしなかった。
彼は、幼い頃、母が慕うカフェのおばちゃんと一緒に誕生日のお祝いをした店の印象と“わかるもん”の風船をうっすらと記憶していた。
次の年、彼は自分の誕生日に、学校をエスケープしてこの泣き場所を訪れた。そして今日子の焼いたホールケーキを提供されると、「あーあーー うーえーん」と何度かカウンター席で号泣した。
まだお昼過ぎで、他の利用者はいなかった。彼はしばらくして落ち着くと、「ここが見つかってよかった。」と一言つぶやいた。
その声は、変声期の声でかすれていたのか、泣いた影響なのかよくわからなかったけれど、か細かった。
彼はその日、利用料五百円を借金した。
毎年百円ずつ誕生日に借金の利子をつけるというルールを伝えると、「せ こ」と言って笑った。
ここに来る電車代と最寄り駅からのタクシー代で五千円ほどのお小遣いを使ってしまっていた。帰りにも五千円は必要だった。
十二才の彼は、おじいちゃんからもらう毎月の小遣いを貯めて、此処にやってきていた。そして、この訪問は家族には内緒なのだと言ったから財布には余裕はなかったと推測する。
「帰りの電車賃貸そうか?」と尋ねると、
「大丈夫。足りる。利子が怖い。」といって笑って、服のポケットから取り出した黒いお財布の中身を確かめた。彼が店を出て行く時、外へ着いて出て見送ろうとしたら、店の向かいの丘には銀杏の葉っぱがきれいに色付いていた。彼が店を出る夕刻には夕日に映えて一層黄金色が増した。その銀杏の木が目に焼きついた。彼はその低い丘に駆け上り、はっぱを一枚とって帰った。
そしてさらに十三年が過ぎた。今日子は八十三歳になっていた。そろそろ、店の経営をやめようかと思い始める歳になっている。
しかし気になってしかたがない。
丹波の秋は深まってきれいだった。
そして十一月四日のお昼過ぎに青年が訪ねてきた。美男子だった。それは、光子の残した男の子だった。光子の愛した婚約者にきっとよく似ているのだろう。
そして青年の後ろから若いきれいな女性が顔をのぞかせた。
「ここで誕生日お祝いするのね。」
「ああ、一緒に祝ってよ。」すっかり見違える大人の雅光を眩しそうに今日子は屈んだ腰を精一杯伸ばして覗きあげるようにして見つめた。
気がかりが解消した瞬間だった。店を開けていて良かった。
「秋は木の葉が色づいて、このあたりは良いところですね。」と向かいの丘を振り返りながら連れの女性が微笑んだ。
今年も銀杏の葉っぱが輝いている。十二歳の雅光が服のポケットに銀杏の葉っぱを一枚入れるシーンが鮮やかに今日子の頭の中で蘇ってきた。「よく来てくれたね。」
連れの女性は母親の光子の若い時分に横顔が似ていた。三才の幼い男の子の可愛い歌声は再現できなかったけれど、大人になった雅光の声で誕生日の歌が一節歌われて、女性二人に催促の目配せをしてくる。
連れの若い女性が、「用意さんはい!」と手首をタクト代わりに振った。
雅光を囲んだ二人の女性はハッピーバースデーツーユーを彼に向かって歌った。歌いながら今日子は途中から泣いていた。
そのあと、「昔の利用料五百円と十三年分の利子とをあわせて一八〇〇円になるね。」と借金を覚えていた雅光は約束のお金を払らいながら言った。
「この十三年の間には、様々な辛いこともあって、悔しくて眠れない日や、寂しくて死にたくなる日には、ここの借金を思い出したんだ。」と言って、黒い鞄の中から日記帳を取り出した。そして栞らしきものを見せた。それは、銀杏の葉っぱを貼って加工されていた。
「これを見ては、涙がかれるほど泣くとすっきりする。すると辛くても寂しくても死ねないなと思って。また頑張れた。ありがとうございます。」
「今日はあらためて、誕生日のお祝い以外に、お願いしたい事があって訪ねました。」
今日子は二人が婚約しているのだと気がついた。
「婚姻届の証人になっていただけますか?」
「はい喜んで。」
そう答えながら、今日子はまたうれし泣きをした。
そして今日子の一人勝手に決めたルールを、この日やってきてくれた二人に紹介した。
それは、リピート利用者の誕生日に一枚ずつ編みためた毛糸のモチーフについてである。
誕生日が不明の利用者の場合は初回の利用日を誕生日の変わりに記録しておく内緒のルールもある。
月ごとの誕生日に色を変えてその利用者の無事を祈りながら10センチ四方のモチーフを一枚編むと一年で十二枚十二色のモチーフができる。そして其々の利用者の袋に保管する。そのモチーフをつないでひざ掛けやら、クッションカバーやらを、タイミング良いなと感じる時、利用者の誕生日にプレゼントしたいと心がけてきた。もちろん、渡せていないものもたくさん残っている。
「君のは十三年分貯めたから一五〇枚以上ある。今回はつないでこたつ掛けにでもできそうだわ。」
「結婚祝いに送るわね。住所をここに書いていってね。」
「余談になるけれど、向かいの丘に育った二本の銀杏の木は雄と雌なのよ。つまり夫婦になっているの。ずいぶん昔、家の庭に小さな鉢植えで姑が育てていたのだけれど、姑が亡くなった後に、この向かいの丘にわたしがつがいで植えたのよ。」
「へー。銀杏に性別があるのをはじめて知りました。」と雅光。
「結婚の記念樹にもなるわね。」と雅光の妻になる人が微笑んだ。
「移植した頃の木はどちらも小さくて手のひらサイズだったわ。窮屈な鉢からここに来たとき、どう感じたでしょうね。あなたが三歳の時には確か、やっと私の肩くらいの丈に育っていたかしら。今はこんなに見上げる大きさ、立派になって実もつけるわよ。」
「秋のはじまりに来るとわかるから、私がいなくなっても、遊びにいらっしゃい。泣き場所のシンボルツリーにするわね。」
完
あとがき
後半の泣き場所の経営の話はフイクションです。しかし、カフェを作りたい場所は確かに近くにあって夫が持っています。その向かいの丘も実在しており、銀杏の木がたくましく二本育っています。
そして冒頭の少年のご冥福を祈り筆をおきます。 合掌