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⑥泣き場所の経営

泣き場所オーナーと利用者

 泣き場所の経営が始まった。生身の“わかるもん”の中身はかずちゃんの他に信さんバージョンも時々発生した。

 かずちゃんは、完全予約制で、かずちゃんの入った“わかるもん”のおなかのポケットはお金入れではなく涙を拭く交換式タオルに変えた。そのタオルは涙で湿り、日に何度も交換された。特に小学生のリピーターやら、思春期の中高生が利用してくれることが多かった。

 かずちゃんは、介護福祉士に合格した。そして今度は、2018年に国家資格として新たに設けられた公認心理師というのを目指して勉強中である。そんな彼女には“わかるもん”は、実にはまり役であった。夏休み前には、えっちゃんという小学六年生の女の子の悩みを解決してやった。

 えっちゃんは母子家庭の一人っ子だった。

 えっちゃんの母親は、えっちゃんが小学一年の夏休みに離婚したのだった。離婚の原因は父親の浮気だった。

 えっちゃんは、ずっと、妹か弟がほしかった。それなのに学校から帰ると、一人ぼっちで母親の帰宅を待つ事が多い。両親が離婚するまでは、下校すると、母親がいてくれた。その頃の母親は泣いていたのかと思うと、下校してきた一人娘を抱きしめて「悦子はママと一緒にいてくれるね?」と泣きはらした目で笑ってうったえた。

 その年、夏休みに入り父と母は仲直りしたように、悦子を連れて沖縄で三泊四日の旅行をした。空も海も澄み切った明るい青をしていた。悦子はきれいな海で大きな浮き輪と父親にサポートされて泳いだり、夕方は浜で花火をしたりして楽しく過ごした。母も明るく笑って三人は一緒の写真に納まった。

 そして、もう十日で二学期が始まるという頃に、夏休みの思い出の絵日記を描いた。それは夏休みの学校からの課題だった。

 楽しかった旅行中の絵日記を描いて、これからもそんな家庭を望んだが、数日後には父は家から姿を消した。

 そして二学期がはじまると、母は父が荷造りした数個のダンボール荷物を宅配便に引き取りに来させ、父の新居に送った。

 夏休みの絵日記が提出後に返却されてきた。三人の親子は楽しそうに笑っている。それを父と一緒に作ったフレームに飾る予定だった。旅行中にコルクボードに貝殻を父と交互に貼り付けて作ったピクチャーフレームに涙がこぼれる。

 えっちゃんには、やがて一年生の秋に腹違いの弟が生まれた。

 その年の暮れ、えっちゃんの冬休み前には父親と母親が再会し、これからの親子関係について話し合った。そして、えっちゃんの五月の誕生日と夏休みには父親と再会して遊ぶ事がルールと決められ許されたのだった。それから数年、父親は、悦子に弟ができた事は内緒にしていた。

 しかし、悦子が小学校五年になった昨年のこと。クリスマスイブに父と悦子はケーキ屋さんで偶然に出会った。

 その年、悦子の母はクリスマス商戦中のスーパーのパート勤務が忙しかった。悦子の母が離婚後始めたパートだった。従業員割引で色々安く買えるし、彼女の作ったお惣菜も店に商品として並んだ。それらは残りそうになれば安く買って帰れたから、家事との両立を果たしやすかった。いつもは、夕方六時過ぎに帰宅できた。

 しかし、その週は、クリスマス商戦で帰宅予定がいつもより遅くなる。そう考えた母は恒例のケーキ店によって帰ると夜八時を過ぎるかも知れないと計算した。しかし、夜七時には帰宅しクリスマスイブは娘と一緒に祝ってやりたかった。

 そこでクリスマスケーキの予約をした恒例の店に、悦子を使いにやることにした。その店は、かつての夫のお勧めの店で、結婚記念日や、悦子の誕生日のケーキ等を調達していた。悦子もその店の味や装飾が気に入り、クリスマスケーキはスーパーのではなく、その店のがほしいとこだわったからだ。

 そうして、その日、こだわりのケーキ屋で悦子は父親に会った。

 父は気がついて、「やあ悦子、元気そうでよかった。メリークリスマス。」と言ったが、悦子は掠れる声で「パパも…」と言うのが精一杯であった。父の片方の手には、幼い男の子の手が握られていたからだった。そして、その晩、母から異母弟の存在を確認した。

 かずちゃん“わかるもん”は、えっちゃんのこの話を今年の春に聞いて、えっちゃんの気持ちを一つ一つ丁寧に整理してやった。

 そして、約一月後、悦子の五月一日の誕生日には、また父親に会う事を知った。

 それで、その時「弟の事を紹介してほしい。」と伝える事を決心させた。

 えっちゃんは自分の誕生日に、約束通り、こう言って実践した。「弟がいるってうれしい。いい誕生日になったわ。次には紹介してね。」と気持ちを伝えた。

 その結果、今年の夏休みに父親と弟も悦子と一緒に海水浴やバーベQをして楽しんだ。弟は秀秋という名前だった。

 えっちゃんは、こうして世話好きで優しいお姉ちゃんになった。

 かずちゃん“わかるもん”からもらった風船を、えっちゃんは弟の秀秋にプレゼントしてやった。そんな楽しかった夏休みの話を二学期が始まって早々、えっちゃんは友達の恵美ちゃんに話していた。

 その頃、生身のかずちゃんは、介護福祉士の本業が忙しくなりすぎて、次第に予約がとれなくなってきた。

 そんな時、たまたま、泣くためではなしに、オーナーの今日子を訪ねて、信さんがやってきていた。信さんは、カウンター席でコーヒーを飲みながら“わかるもん”の着ぐるみを見せて欲しいといった。

「着ぐるみは誰が、作ったの?」

「着ぐるみのキャラクター案はかずちゃんが描いてくれた絵なの。それを、ヒントに私が縫った。暑すぎないように。でも生身の体が想像できないような生地を選ぶのに一苦労したのよ。洗濯用に二枚作ってローテーションしているけれど、もう一枚作ろうかと思う。乾燥に結構な時間がかかるの。タンブラー式乾燥機をかけすぎると生地が薄くなっていくから使わずに乾かす。でも、屋外で抜け殻の着ぐるみを幼い利用者が見たらショックを受ける心配もあって見つからないように配慮がいるの。」

「見えないところに苦労があるのね。」と、信さんは感心してくれた。そして、幸い利用者のいないところで、その抜け殻を渡すと手にとって見てから、被ってみたいと言い出した。信さんは、着ぐるみを持ってカーテンの奥の利用者個室に入っていった。そして、着ぐるみを来た信さんは、カーテンをあけて、陽気な声を弾ませて、「“信わかるもん”です。よろしく。」と出てきた。

 そこに、はじめての幼い二人組みの姉弟らしき利用者が入店してきた。予約は無い。

「こんにちは。弟がお家で泣きやまないの。」と姉が困り顔で言った。

 弟は“わかるもん信さん”の握っている風船が気になっている様子だった。

「これ、ほしいのね。はい。」

“わかるもん信さん”は、すっかり役にはまって、弟に風船をやった。

 弟の目もとは、泣き腫れて、まだ紅かったけれど、風船と“わかるもん”を見たせいか涙は止まっていた。

 すると、姉のほうが泣き出した。「お 母さんが 入 院 しちゃったー。 えーんえーーん。」大泣きして、次はしゃくるように泣き、“わかるもん信さん”に背中をなでてもらって、やっと落ち着いた。

 二学期に入って一週間ばかりの土曜日の夕方で、学校は休みだった。

 姉の話しでは、姉弟のお父さんは海外に単身赴任しているらしい。そんな最中に母親が病気入院したのだった。母親の病気は、父親の赴任前には誰も気がつかなかった。父親は妻が緊急入院と聞いて、幼い子供達だけの生活はさせられないと、なんとか赴任先から来週一時帰国してくるのだと姉が話した。この状況を離れて住むおばあちゃんにも連絡中なのだと言う。相談がまとまり次第、日程調整しておばあちゃんが九月中は助けてくれるのだそう。 姉は小学六年生で、弟は三才になったばかりの保育園児なのだった。父親は家族総出で海外に赴任したかったのだが、来春中学生になる娘の教育環境を母親が心配して、母子三人での暮らしが四月から始まっていた。しかし番狂わせの母親の発病と緊急入院。このピンチの状況を身近な学校の担任の先生にも相談するなどしていて、夕食の準備もしてきたという。しっかりしていた。

 お母さんを昼間入院先までホローしてから、弟と二人バスで帰宅。その途中から、一緒に帰らない母親の事情が呑み込めない弟が泣き止まなくなって、困ってここに来たのだという。

 ここは通学途中に“わかるもん”の立て看板を見かけて知っていた。それに、一学期から、仲良しのえっちゃんが、“わかるもん”に会って悩みを相談した話と、二学期に入ってすぐに、その悩みを解決したという話を聞いていたからだった。

 ドラえもんに似た“わかるもんタヌキ”が話を聞いてくれて風船をくれる場所なのだといった。弟に「ドラえもんみたいな“わかるもんタヌキ”がいるから、風船をもらいに行くよ。」と言って連れ出した。すると弟はようやく泣き止んだ。

 しかし、道中二キロメートルほどの道のりが三才児には辛くなって、おんぶをせがまれたり、抱っこしたり大変だったのだそうだ。姉は母親不在の不安と、この重責について話をすると、泣き止んでほっとして笑顔になった。そして、風船代100円と、お話聞いて代100円を支払おうとした。

 今日子は、皿洗いマイナス100円とマッサージマイナス100円の提案をしてみたくなった。

「あのね、このお店で、お皿洗い10分と、マッサージ10分するとお金はいらないけど。」

すると姉は、「お皿洗う。」弟は、「あっちゃんもする。」と言った。

「じゃあ、あっちゃんには、お肩なでなでしてもらおうか。できるかな?」と今日子が問いかけると「痛いの痛いのとんでいけー。となでるの。できるよ。」と言った。そして姉の肩をなでようとした。

“わかるもん信さん”と今日子は二人の様子を見て微笑んだ。

 今日子は、その10分の間に、二人の朝食用にとパンケーキを焼いてお土産にしてやろうと思った。

「お母さんの病気が早くよくなりますように。」と祈って、“わかるもん信さん”は鶴を折った。

「千羽鶴を折ると良いのよ。」とビニールの小袋に数枚の折り紙と折った鶴を入れ、アルミホイルで包んだパンケーキをお土産袋に入れてひとつにして渡してやった。そして、定年後リタイヤしている今日子の夫に連絡して二人を家まで送らせた。

 信さんありがとう。今日子は突然の出来事にも心やさしく対応してくれた信さんに感謝した。

 それからも、時々信さんが来店して、かずちゃんの代わりに“わかるもん”の着ぐるみを被った。

 ある日、高校生の男子生徒が、進路をめぐって親と対立しているという悩みを持って相談に来た。

 今日子は、リクエストがあるまで、泣きたい理由を聞かずにいたので、三回目までは、個室でただ泣きはらして行く少年だった。

 そして四回目に、“ロボットわかるもん”を利用したいといってきた。

“ロボットわかるもん”には、人工知能が搭載してあって、かなり自習学習が進んでいる。進路候補の学校選択にも、とても能力を発揮する。

 親の意見と違う進路を選択する生徒は、条件付で親の承諾を得る場合が多い。例えば、入学金は出してやるが、学費は自分で稼げなどと親はハードルを高くしたりするのだった。

 そこで、“ロボットわかるもん”は使えそうな奨学金を調べ上げ、更に生徒のアルバイトの適正や、学業との両立を図りやすい無理のない時間割を提案してくれたりもする。

 このロボットはかなり高額な買い物だったから、オーナーとしては、10分100円の利用料は下げる事はできないと考えていた。

 もちろん皿洗いや、肩マッサージ支払いも有効ではあるが、需要と供給のバランスから言えば、皿洗いも、マッサージも10分1セットを一日数回で充分だと思っていた。メニュー表にもそのような旨を書き込んである。

 そこで、今日子はオーナーとして経済苦学生の事を真剣に考え、マッサージの需要を上げるための策を思いついた。 

 早速、近所のお年寄りやら介護施設を回りマッサージ希望者を募集した。すると、希望者が増えすぎて、今度は供給が追いつかなくなってしまった。

 困っていると、高校生の利用者は他の経済苦学生を募り、マッサージクラブなるものをこしらえてマネージメントまでするようになった。

 今日子が彼の知恵に驚いていると、この知恵をロボットわかるもんがアドバイスしたというのだった。それで、はじめは美術大学をかたくなに志望していた彼に変化がおきた。

 電気工学や機械工学系に進みたくなったのだそう。エンジニア好きの親も大賛成してくれる進路に変わった。

 彼は美術大志望だっただけに、クラブ員募集のポスターは流石の作品だったし、ロボットの機能や美しい動きやすい形は美術系の彼の進路にふさわしいと納得がいった。

 今日子は、“ロボットわかるもん”を導入しておいて良かったと実感した。

⑦泣き場所オーナーの編み物へ

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