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第五章 今日子の選択

高齢の母

 今日子の実家は近い。20年ほど前から難聴気味の母親が「たまには孫を連れて遊びにこい!」とか「漬物がいらないか?」と携帯電話を掛けてくる。母は今日子の弟夫婦の住む家の離れで通常は一人暮らしをしている。そして今日子の父は認知症のため特別養護老人ホームに入所して久しかった。母と一緒に時々は父を訪ねるが最近父の反応は鈍くなった。

今日子「漬物ほしい。お母さん明日は在宅か?」

母「…ほな。」もう電話は切れてしまっている。

 リクエストに応えてご機嫌伺いしてくるか…とパートの休みに訪ねて行く。「来たよ。」返事がない。

 そこで、母の携帯電話に掛けても、出ない。

「ほんとにお母さんの電話は一方通行で困るわ…」

 母屋や離れ、家の裏庭などを廻りやっと母の姿を納屋で発見する。腰をかがめて、今日子の好物の白菜の漬物を樽から取り出してくれている。今日子のパート先の定休日が木曜日なのは覚えているらしい。

 難聴だからこそ使えると便利なEメールを覚えてほしい。しかし文字入力がさっぱりできない。では音声入力ならと教えてみたけれど覚えない。Eメールや写真をこちらから送っても、誰かのサポートがないと開いてはくれないのだ。認知症にはほど遠いが、難聴による思い込みに加え、歳を取って新しいものに挑戦する時のハードルがどんどん高くなってしまっている。そこを指摘すると機嫌を損ねるので、家族も言えなくなって母のマイペース振りは最強になってきている。

「ありがとう。昌君も喜ぶは。」と今日子は母に白菜漬けの礼を言う。

「けど、お母さんの電話は質問しても応えへんから困るわ…」と今日子は続けた。

「マーくん?」と母。

今日子「うちのご亭主昌君。」

母「孫か…?」

今日子「もうええは。ありがとう。美味しそうな匂い。ひとつ切って今食べたい。」

 今日子は、先ほど母が樽から引き上げてくれていた白菜漬けを数株受け取り、母の住む離れの台所に移動して、まな板と包丁を取り出した。その美味しそうな白菜漬けをカット。一切れ口に放り込む。「おいしい。」

 後からゆっくり腰を屈めて杖をつきつき住人である母が入ってきた。『母も85か、歳取ったなー』と今日子は思う。

高齢者をサポートする技術と制度

 AIの進化で健常者なみに歩行を助ける装具も普及してきている。しかし、まだ利用料が高いのと一旦装着したのを外したり再び装着したりが一人では難しいので母は利用していない。

 今日子は「美味しい漬物いただきたいから呆けんと長生きしてや。」と言って母の離れで、母自慢の白菜漬けをつまみながら親子二人でお茶をいただく。そして最近の出来事などを、お互いに山盛り語る。大きな低めの声でゆっくり話すとなんとか通じている。しかし、大きい声で話し続けるのはきつい。何度も聞き返されて、へとへとにもなる。そこでボタンひとつで消せるお絵かきボードで筆談することもある。

母「この前、転倒して、ここ打った。ヘルパーさんに何ぼで売ったん?て笑われた。はは。」

 今日子は「青なってるやん。痛かったやろ。用心してな。笑い事で済んでよかったけど。」と電子ボードに書いた。

 2年前にも、畑でひっくり返って中々起き上がれず困ったと言う。3年前には、電動自転車ごとひっくり返って、助けてと携帯電話を掛けてきた。その時も、こちらが場所を尋ねても、応えてくれなくて、仕方なく、実家まで、訪ねて行ったら、何とかご近所さんやら弟夫妻に救出されてはいたものの、単なる運転ミスか、脳梗塞等の影響か分らなかった。認知症の判定が出ていれば、徘徊監視装具の利用が安くでき、こういう場合に便利なのだけれど、母は幸か不幸か非該当者であった。

 また母は補聴器もある程度性能にこだわったものをお店で勧められて購入し、装用しているけれど、調整して使いこなせていない。もしかすると難聴に気づくのが遅れた事に加え、補聴器が高額で購入を躊躇って装用が遅れたことも原因だ。今日子もすでに難聴気味だ。息子の指摘で耳鼻科を受診して補聴器を早期装用している。補聴器の早期装用が勧められる理由のひとつとして、聞こえにくい音域を補聴しないまま放置すると、やがてその音域を脳が忘れてしまう。その状態になってから、いくら性能の良い補聴器を装用しても、もう補聴できないことがあるのだ。また補聴器は慣れも必要である。会話成立のために装用したのに、多くの雑音が聞こえて最初はとても疲れる。自分にとって必要のない音を聞き流す事に慣れてはじめて使いこなせると言えるのだ。このような事も体験しないと理解しにくい。また、なんとか高額な補聴器が安くならないものかと調べてみた。すると、両耳高度難聴になって障害者認定されたら、補聴器購入に補助金が出る制度が見つかった。しかし、母も今日子も其処までは難聴ではないらしく、高額な補聴器を自費で購入し使っている。補聴器の寿命は約5年である。今日子は補聴器がないと今の飲食店では仕事ができないと感じている。電子調理タイマーの音を聴くこと、お客様のご注文をうかがう事、仕事仲間との連携が補聴器のおかげで可能になっているからだ。今日子にとっては働くために補聴器が必要なのは確かだ。せめて医療費控除の対象にしてほしいと願う。「高額やとかなわん。補聴器を購入するためだけに働いているのか分からんな。」とぼやきたくなる。労働者減少を食い止めるためにも制度を見直すべきだと今日子は思う。高度難聴になってしまってからでは、脳と補聴器の連携が難しくなる可能性が増える。政府は早期装用を推奨し、労働可能な人材を護るべきではないだろうか。

 便利な技術があっても、周りの理解や制度のあり方で社会は生きにくくも生きやすくも変わるとつくづく思う。

 それから、母は、寛二のお母さんがご近所に居なくなって、寂しくなったと話をした。寛二の母親とよく一緒にお茶を飲んだりしていたらしい。

母「ご長男の寛太君のところに行くて言うてた。」

今日子「え、じゃあ寛二君はどうしたの?」と電子ボードに書く。

母「長いこと見なかった。若返るための入院をすると去年聞いた。うーんそれから…最近は戻ってきて…彼女さんができたみたいで結婚も考えているみたいや。」

「R30の施術入院やったんかな?」と今日子が書く。

「なんとか30や…、一年ほど家を留守にするから、おばちゃんよろしくて来た。去年や。」と母。

 しばらく間があいてから母が「そういや、今日子、お前も、30歳くらいに若返られるんやったら、若返りたいとか言ってなかったか? 囚人さんの写真集持ってきて…随分前やった。」

今日子「一年会えなかったら、お母さんが心配やしな…昌君も…」母「……」

今日子の施術申請

 幼馴染の寛二まで若返りの施術を選択したと聞いたその晩、今日子は益々R30施術を受けて自分も若返りをしたいと思った。母の事など気がかりは多いけれど、昌君が帰宅したら、今日こそこの思いを言おう。 今日子は、R30施術を夫の反対を押し切っても受ける覚悟を持った。

 そして、今日子はその夜ついに、母から聞いた寛二の選択と現在の様子を話し、夫にR30の施術を自分も65歳で受けたいと言った。

「ねえ、R30施術希望申請書を提出していい?できたら、65歳で受けたい。5年かかって若返るから。つまり70歳で30代に見えるっていうプログラムに協力して欲しいの。」と今日子。

「まだ、人体実験の途中だよ。もし若返りが起こらなかったらどうするの?それから寛二君には実際会ったの?」と夫は心配そうに言った。

「寛二には会ってない。まだ、施術から1年と半年ほどだから、若返りの途中だよ。睡眠の邪魔と、恋愛の邪魔したくないし。佳子姉ちゃんは3年半たって、40代に見えるとか聞いている。今度会ってくる。」

 その後も、夫は施術によるリスクを心配して、応援するとは言わなかった。

 今日子が隣の夫妻の施術後の話をした時も、姉のように慕う佳子の施術やら、その後の経過を話した時も、静かに聴いてくれた。しかし、その度に「R30科学的考察」を読んで首をかしげながら「まだ人体実験の途中の段階や。」と心配そうに言った。

 夫が真剣に考えてくれた事に感謝の気持ちはある。しかし、翌年夫の反対を押し切り今日子はR30施術を申請した。

「入院中に君のお父さんとお母さんに何かあって後悔しても知らんよ…俺の事は心配せんでもよい、何とかできる。息子達夫婦も近くにおってくれるし。」と夫は気遣ってもくれた。

 そして今日子は67歳でR30の施術を受ける事になった。

 受ける前年にR30施術から5年経過した佳子に会った。今日子が姉のように慕う佳子は完全に若返りが成功していて綺麗だった。そして現在アパレル会社で精力的に勤務している。「先に施術体験した佳子お姉ちゃんがいる。私も頑張れる!」

今日子の施術結果

 今日子は子供たちをも振り回し、夫と口論になった事もあったがR30の施術を受けた。「もう一度青春や。ふふ。カフェ経営の夢もかなえるつもりよ。色々入院中迷惑をかけるけどごめんなさいね。」と入院先まで送ってくれた夫にあいさつを済ますと、施術のための適応検査がはじまるからと看護スタッフに促され簡易な術衣に着替えた。『いよいよだ。佳子お姉ちゃんみたいに若くなれる。』そう思ってニヤニヤしていたに違いない。

 そして待ちに待った手術も終わり、重だるい麻酔から醒めた。しかし、今日子には新しい世界は開かれなかった。

 事前の適応検査には問題はなかったはずなのに。

 手術後数日経っても佳子の時とは違い睡眠量に大きな変化が見られず、覚醒している時間が多いと思っていた。嫌な予感がした。

 今日子には若返りは起こらなかった。施術から3年経過した今もやはり、若返った様子はない。

 施術後のリスクの内、若返りが起こらなかった場合は、年金受給の先送りはしなくてもよいという法律であって、その条件は救いだったけれど…。

 夫に逆らってまで受けた、魅力的だった若返りの施術が、自分には無効だったようだ。施術から1ヶ月たった頃に、埋め込んだAIチップと、多機能幹細胞の連携が何らかのためできていないことがわかった。 しかしなぜ、連携できないのかは、原因が分からず、睡眠時間の大幅な変化は今日子には起こらなかった。順調ならば、投与されるはずの成長ホルモン剤も使わないことになって、施術から3ヶ月で退院となった。今後は寿命が短命化する可能性があることの紹介と、若返りが起きなかった原因究明に必要があれば病院と協力するという念書を提出しての退院だった。埋め込んだAIチップと多機能幹細胞はそのまま体の中に残された。今後何かの弾みで、若返りのスイッチが入る可能性もゼロではなかった。

 しかしマウス実験でも1パーセントに若返りが起きなかった事が「R30科学的考察」に記載してあった事を思い出す。今日子がそのくじを引いてしまうとは予想もしなかった。今日子は夢破れて、しばらくの間は何も手につかなかった。佳子の若返りぶりを見て自分にも当然同様の結果が出ると錯覚していたのだと思うと虚しかった。

 しかし、若返りの夢を見られたことに感謝しよう。後悔してもはじまらない。そして老いていく体と心なりにも余生を精一杯楽しんで、良い思い出をつくろうと思う。

「昌君心配かけてごめん。強情な妻でしたが、もうしばらくよろしくおつきあいください。」と今日子が言うと、夫は微笑んで、うなずいた。

 高齢になった親を心配したり自分も子供達に心配されたり、そんな秩序が社会には必要なのかも知れない。そういう自然な心のありようもいい。

 夫とともに年をとり精一杯終活をして、最期は子供たちに迷惑もかける。だからいっぱい、ありがとうと言える間に言っておこうと思う。ひょっとしたら、8歳年上の夫が私より長生きしてくれるかも知れない。

 日本では女性の平均寿命の方が男性より7年ほど長い傾向がある。その長さに加えて夫より8歳年下の今日子は、15年近く一人で老後を生きるのはちょっと寂しいと考えていた。今となっては、自分は施術の影響で短命化して夫と同じくらいに往生できたらいいなと密に願う。R30施術を選択した潜在的な理由は、ひとりぼっちの老後を回避したかったからなのだ

 人はみんな気の合う人を求めて友達をつくり、恋人をつくり、思い出だけを持ってこの世を去っていく。

『良い思い出を持って逝こう。良い思い出を友達や家族に残して逝きたい。』今日子はそう思った。

 今回の施術結果失敗で今日子は思う。私は一人では生きたくない。そして限られた人生だ。いつからでも目標が待てれば充実した人生を送る事ができる。しかし、できれば若いうちに早い目標設定が理想だったと。限りなくチャンスがあったはず。そう思うと今日子は若い後輩が夢を持つなら応援したいと思うようにもなった。

 少年よ大志を抱け。若者が夢を持てる社会、夢に向かって努力しやすい環境を作ってあげたい。

 今日子は70歳になった。R30施術をきっかけにパートも辞めていた。月に一回夫や友達と温泉巡りを楽しむ主婦だ。母は、どうにか生きていて、ショートステイーやデイサービスを利用している。今日子は母を真似て、冬には家庭菜園の白菜を収穫し漬物に取り組む。子供や孫、母にも提供する。母の塩加減とは微妙に違う。母に満点をもらえるまで母には生きていてもらいたい。

 そして、孫には、偉い人の伝記の他に、自分は幸せだという人の本を読んであげようと思う。孫が気の合う人を見つけ、わくわくできる夢に出会えるよう、導けますように。

 あとがき

 近未来が、人工知能とも折り合い良くワークライフバランスの図りやすい平和な社会になりますように。

 障がい者にも生きやすい心豊かな社会を築ける事を信じてドラマを閉じます。

 因みにR30夫が受けるなら施術希望!笑い

 現在2018年は、障がい者や高齢者が生きやすい技術はそこそこあって、あとは社会制度の見直しとコミニュケーション力が試されているだけなのではと思うのです。

   水 密 桃(すいみつとう) 57歳2018年5月 完     

文学会新人賞(2018年9月)に応募してみましたが、選に入らずまったくの力不足のつたない作品です。(2019年4月現在)

それでも、ふるさと丹波への思いを織り交ぜました。

新しい時代の日本で自然の恵みが活かされる社会を祈念いたします。

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