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第一章 若返りのチャンス

 R30施術で、あなたも、もう一度30代の若さを取り戻せます!

 今日子が勤める飲食店の昼時パートから帰宅すると、リビングのテーブルの上に開封された白い封筒と、薄めの冊子が並んで置かれていた。宛名は夫昌男になっている。リビングは、帰宅予定時間に合わせて暖まっていた。何かのダイレクトメールか?アンチエイジングや、若返りをテーマにしたよくあるサプリメントの広告と思った。それにしても、30代の若さに戻せると言う口説き文句は気にかかる。A4の冊子だ。手にとって数ページめくると、若返りのビフォーアフター写真集のようだ。封筒の中にも、もう一冊何か入っている。取り出してみると、R30科学的考察と書かれた難しそうなB5の冊子だ。そして、封筒の宛名の下に書かれた差出人は厚生労働省となっている。「もうちょっと、ゆっくり見たいけれど昌君帰ってくる。早く夕飯つくらなきゃ!」時刻は5時を過ぎていた。今日子は一旦冊子をテーブルにもどし、寄せ鍋の準備に取り掛かかった。

 今年57歳になる今日子。飲食店のパートで半日以上立ちっぱなしの後帰宅して、すぐに取り掛かる食事の準備はちょっと負担に感じている。左膝が3年前くらいから辛い。加えて加齢性の難聴もあるので、仕事先では補聴器をつけている。補聴器なしでは、冷蔵庫開け放し、電子タイマー等の電子音が聞こえない。少し離れた距離からの指示も意味を聞き取れない。ところどころ欠けて聞こえるため、きっと脳内では、せわしく様々なワードが提案されて混乱している状態だと思う。立場や環境に慣れてくると、正聴率が上がる。

 膝の痛みに良いというサプリメントと、高額の補聴器代と年金掛け金の為に働いているようなもの。とぼやく事もあるけれど、若い仲間とランチタイムの忙しい時間帯に働いていると、活気があって膝の痛みも忘れてしまうほど楽しい。(2030年12月)

2030年の日本

 団塊の世代が引退した後、高齢化には、さらに拍車がかかる。

 その対応に、人工知能(AI)の社会適応が進んだ。

 もう、車の事故はほとんど起こらない。どこでも、人工知能搭載の車が、道路の込み具合まで確認して、着きたい時刻に連れて行ってくれる。自分専用の車であれば、スマートホンに入力した予定表との連携もバッチリである。しかし、ファミリーカーの使用や、会社の車はちょっと面倒である。それぞれが、チャットで協議連携して、車の空き時間に行き先と到着希望時刻を入力する。緊急事態に備えて、車への予約を解除する方法もあるのだが、面倒なので、大概は優先ユーザーを決めて運行する。

 高齢者の認知症対策にも人工知能が普及している。徘徊されても、そう大騒ぎにはならない。対象者に小さな装具をつけると、(人体に埋め込むことも可能なサイズと機能もあるが、本人や家族、医師の意見によって埋め込み例は少ない)現在地は、家族には勿論、登録しておいた友人や、かかりつけ医にも追跡ができるようにカスタマイズできる。

 装用がはじまると対象者の行動パターンを主介護者の任意の期間集積する。その集積結果から次の行動を予測もできる。方向が変わったタイミングの脳内変化から何かのアクシデントが発生したのではないか等の情報を確認できる。つまり24時間追跡可能だ。

 生身の家族が24時間端末監視するのは、ともに過ごすよりきつい。そこで、アクシデント発生が疑われる時の個人的パターン集積によって得られた結果から、導き出される類似脳内パターンの時に主介護者のスマートホンにお知らせが入る。そして主介護者のパネルタッチひとつで、緊急対処の連携が図れる。その仕組みは、被介護者の現在地情報がエリア内の役所や、交番、公民館、病院、登録しておいた友人などに共有される。そこでグループチャットにより、緊急時の対応が展開され、それぞれのできる事を行うといった具合だ。家族の事前申請で、必要な場合には対象者の情報がもっと広くに公開される場合もある。  そんなわけで、介護を理由に離職する例は減ったし、人工知能に職を任すことによって、なんとか社会は機能しているかに見えている。しかし、リタイヤ年金生活者の急激な増加に対して働く人口は減り続けている。

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