④章 絆バスがきっかけで誕生した新しい事業展開
和也は文江とも交流、文江が大学を卒業してからは更に交流を深め、丹波の食材を使って一緒に体験型農村カフェを経営し始めた。味噌、醤油はもちろん、野菜や果物のジャムや漬物、たけのこの缶詰、山菜の缶詰やレトルト、そして、これらを加工する燃料もできる限り、自然なものを使おうと工夫をしている。薪割り体験できるカフェだ。といっても、小学校の空き教室利用制度(入札制)をつかっての週末ワークショップカフェである。この制度は市民が意見をだしあって、校区単位の循環型社会を築こうと新設された制度である。
和也と文江の二人はこんな近未来予測をする。
「可愛い人型ロボットにお願いするとね。」と文江。
「かしこまりました。おまかせください。文江様。」と和也がお辞儀してにっこり微笑んで返した。
「可愛いロボットがまき割りをしてくれたり、薪をくべたりしてくれる時代がいずれやってくると思うんだよね。」二人はそういって蒔き割りしながら、夢を描き続けている。
そして、二人のファンが増えこの週末カフェをSNSで拡散してくれるようになってきた。おかげで路線バスを乗り継いでやってくる近郊の人が増えてきた。
地域の資源がこのように活かされて商売ができている姿を目にするようになった、小学生達にもいい影響が出始めた。知識と体験がつながると、自然と好奇心旺盛なこどもたちは研究熱心になるものだ。
インターアクトの部長を務めた足立穂香は、高校卒業後、丹波布織りと、竹細工を学び、民芸家になった。そしてその作品は、文江と和也の店でも売られている。また英語のできる穂香の作品は海外でも有名になってきた。
週末の外は文江の生家の春日町鹿場の納屋がカフェの場所になっていた。
そのカフェは文江が経営している。
その鹿場のカフェは、技をつなぐ人の駅となり、路線バスの停留所にもなった。市内の端っこの集落にこのような技をつなぐ人の駅、つまりバス停が新たにいくつか設置された。絆バスのボランティアさんの意見を毎年集約して、10年経過していた。路線バスルートも少しずつ見直されている。
高齢の竹生や久恵も文江にせがまれてカフェを助けるスタッフだ。時々、竹細工や味噌づくり教室、味噌漬け教室を企画すると先生役を担う。
校区のワークショップにも時々大先生として参加する。
ワークショップの世話を主にするのは、校区に復活した購買部と用務員さん、そして新たに市民の要望で設けた自然災害対策相談員、そして地域在住の出展場所落札者、それから近郊の都市からの出展場所落札者で半年に一回相談会で協議して運営方針を見直す。
文江は大学卒業後、生家に帰還して、カフェ経営しながら、祖父母との同居を始めたのだった。心なしか高齢の祖父母も以前より元気に活躍してくれている。といっても10年先はどうなるか不安もあるけれど、文江の京都の両親も、定年後、丹波に帰還する予定だから、なんとかなりそうだ。丹波の可能性を視野にいれると、この生き方が楽しいし夢だったからと言う。
文江と穂香は都合がつけば、竹ひごを使った竹細工の臨時教室なども平日の夕方や夏休みや冬休みなど市内の小学校の空き教室を順番に回って開く。するとやはり児童は関心を持ってくれるようになった。
ある日の放課後「竹ひごでランドセル作れる?自分の鞄がそこいらにある自然なものから作れるじゃないかと思うとね、なんだかワクワクするんだ。」5年生の男の子が言った。
その言葉がきっかけとなって、週一回のペースで竹細工クラブや、穂香が織り上げた丹波布を小物等に加工するクラブを小学生と立ち上げる事にもなった。
穂香は、ひと昔前に丹波布の機織を学んだ土田さんのお孫さんに来春小学生になる男の子ができているのを知った。そこで、クラブ員の指導を兼ねて、その男児にと竹と丹波布を使った竹篭ランドセルを丹精込めて作って贈った。
すると、「とても使いやすくしっかりとしていて、軽い。どこで買ったの?」
と、そのランドセルが評判を呼び、丹波新聞や近くのテレビ支局が取材に来た。するとその話題がネットで拡散されると、たちまち需要が膨れた。
このニュースをきっかけに市会議員さんが提案すると、丹波市は、市内の小学校に入学する児童に竹篭ランドセルを記念に贈る事を決めた。
一方達也は大学を卒業して、AIを使った物作りの会社に就職した。そして数年経ったときに、丹波市が入学児童に竹篭ランドセル贈呈の話題を聞いた。
そうしてしばらくした頃、達也の勤務する会社が、丹波の竹資源に注目した。そして、竹細工の子会社経営に乗り出す事になった。
その子会社の重役に達也は抜擢された。
後に達也は独立経営の社長になり、そこで、桧皮皐月と共に、未来型の家のパーツを竹で編む会社を経営している。そのパーツは、井上達也が建物の設計図を描いて、桧皮皐月が周辺の環境を描く。すると人工知能が、ベターなパーツパターンをいくつか提案し模型図案を描く、それを更に社員がベストなものにしていくというプロセスで模型を作る。
実際のパーツは高齢者などにも内職として竹ひごを編んでもらう。
パターン製作図案はAIが作る。
そして、そのパーツはたたみ半畳くらいのものがほとんどで、校区単位で、緊急時の土嚢とともに備蓄されるようにもなってきた。まだまだ、未開発の部門にこの技を生かそうと達也と皐月は想像力を膨らませた。
皐月はフリーランスの設計士である。「鳥のように身軽でいたい。」と言っているが、達也から「うちの会社を一緒に切り盛りしてほしい。できれば生活も一緒に。お願い。」と懇願ポーズで求婚された。
「それ和也君のおねだりポーズやん。達也君には似合わんは。」
と笑ったあと真剣な表情になった。現在、思案中である。
達也の会社の資金運営や販売先については、世界規模の平和や経営を考慮しつつ、足立穂香の親友ジェシカに相談する。ジェシカは様々な国の文化や経営について勉強熱心であったから、財務部長と人事部長を兼任してもらっている。
了。 2019年11月28日(令和元年十一月)