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➀少年の訃報

 知り合いの少年が冬休み前の朝、列車に身を投げた。その事件の新聞は読まなかった。

 その日、偶然会食する約束をしていた友達からの連絡で、列車が遅延していると聞く。遅延の原因はその事件であった。そして私の誕生祝いをしてくれる予定は延期になった。

「高校生が電車に飛び込んだらしく、JRが後片付けしているみたいや。」

「どこで?」

「宝塚線の○○駅。」

「わあ、大変やね。飛び込んだ少年はどうなったの?」

「即死やったみたい。」

「キャー」

「高校生か、若いなー。何悩んでたんやろなー。踏ん張って生きていたらいつか時が解決するような事やったかも知れへんな。」

「うん。」

「うん…そんなわけで今日子ちゃんの誕生日祝いは、後日都合を尋ねるわ。」

「了解。気をつけてお帰りなさい。」

 お互い還暦近くになった友達と私はそんな電話のやり取りをした。

 私の誕生月は十二月で誕生日はクリスマスのちょっと手前である。会食の約束をしていたのはその五日前の夕方だった。ちょうど学生さんにとっては、冬休み目前だ。

 そんな月曜日の朝、少年が電車に飛び込んだのだ。

『何を悩んでいたのだろう?誰か知らないけれど、市内の高校生だろうか?』

 数日後、勤務先の塾の先輩スタッフが、ここに数年前通っていた生徒の事件やったと言う。新聞のおくやみ欄に名前を発見したのだとも言った。

 電車に飛び込んだのが○○君だと分かり、驚き、そして何もしてやれなかった無力さを悔やむ気持ちが少しずつ沸いてきて消えない。

 その日、採点の仕事をしているスタッフ仲間と短い会話をした。

「教室で泣いていたこともあったね。」「トイレに籠もって出てこないとか。」

 少年が通所していた期間は、一年半くらいだったと記憶する。頭の回転は良かった。小学六年の途中から通所はじめていた。小柄でユニセックスな顔立ちの美少年であった。中学校の制服になってからは、数えるほどしか来なかったが、わずか半年ほどの間に背が伸びて学ラン姿の彼は随分逞しく見えた。

 教室で泣いていたのは小学六年生の頃だ。泣いている理由は分からなかった。他の生徒の邪魔になるからと指摘されると、大泣きになり、近い席で採点していた私は、席を離れて、彼の泣きじゃくる目の前に立ち、前から抱えるようにして、その背中に手を回し擦りながら、小さな声で「泣いてもいいよ。」と繰り返した。

 その日を境に彼の泣き場所が教室のトイレに変わったと思う。泣いていたのか、考え事をしていたのか分からないけれど。

 泣いている日とは別に、彼とお父さんとの日頃が想像できる話を一方的に話しかけてきたりもした。確か交通機関の話だ。50過ぎのくせに世間知らずの私にはピント来ないマニアックな内容に思えた。その内容はかなり高度で、知的好奇心の旺盛な少年なのだと印象に残った。そしてお父さんは賢い人らしかった。

 しかし、採点していると、指導ルール通りに学習していないと分かる。そこで、注意を促すと、直ではない。うざったそうにする。

 そんな彼が、私を最大級の言葉で褒めてくれたことがあった。まだ当時は小学六年生だったと思う。

 ガラスサッシの戸を背にして採点中の出来事だった。ガラスサッシ引き戸のところにカーテンがかかっていて、西日を遮光したあった。そのカーテンに潜んでいたのであろう百足がそろそろと這って出てきて、私のカーデガンの肩に降りてきていた。気がついた私は、声も上げずに、カーデガンから百足とは反対側の片腕を脱ぎ、スチール製のゴミ箱に設置してあったレジ袋を引っ張りだして、そのゴミ袋を手袋の様にはめた手で百足を捕獲した。そして、その捕獲したゴミ袋を脱いで袋の中から這い出せないようにすばやく袋の口を結び、スチール缶で押さえつけ、スチール缶のゴミ箱に捨てた。書けば長いが、秒殺だった。生徒のプリント学習への集中を邪魔せぬように奮闘したつもりだった。

 プリント学習中の生徒はみんな、集中力を養うために、教科単元毎の目標時間を参考に学習している。その子に適した教材レベルと学習量の目安があるからだ。

 私が、ほっとした瞬間、何事かと、隣のスタッフさんも、私の奮闘に気がついた。そして、彼も。

 彼は、一番近い向かいの席に座って学習していた。彼も私を注視していたのだった。彼は、勇敢な私を感嘆符つきでほめた。

「先生勇敢やな。すごい!」

 そこで、他のスタッフや塾の責任者の先生も気がつかれた。結局、プリントへの集中力を奪ってしまったが、彼は、何度か感心した旨の言葉を発した。こんな可愛い事も言ってくれる性格なのだと、ちょっと見直した。

 中学生になった彼は、私たちスタッフに、めったに無駄口を吐かなくなっていった。そして、中学生の教室仲間に会釈している姿は随分落ち着いて見えた。少しずつ大人に近づいているのが分かる。

 中学校での授業の一環にトライヤルウイークと呼ぶ就労体験の一週間がある。彼が久々に毒づいた。「朝九時に体験先の企業に出向き、午後三時ごろまで、ランチタイム以外は立ちっぱなし、ほんまに疲れた。暑かった。」と。

 私は、相槌をうっただけで、黙々とプリント採点を続けた。しかし、密に次のような思いが沸いてくる。『いやいや君は甘過ぎる。大人の社会を甘く見てはいけない。いい経験だ。』

 そう思う私は、採点パートは週二回だけで、他の四日はうどん屋で立ち仕事をしている。夏はかなり汗だくで朝から夕方までの勤務は自分を褒めて乗り越える。その勤務姿と大人のタフさをアピールしたいと思った。

 その密かな思いは実現した。彼は賢こそうな父親らしき大人に連れられ、私の勤めるセルフサービススタイルのうどん屋にお客様としてやってきてくれた。その日は確か土曜日か日曜日で繁忙傾向にある、込み始めた時刻だった。「いらっしゃいませ。ありがとうございます。」と複数のスタッフの声で店内は活気に溢れている。私は、てんぷらを揚げては、揚げたてのアイテム紹介をする。「海老天揚げたてです。いかがでしょうか?」とカウンター越しに連をなしたお客様に威勢のいい声を張り上げる。すると、他のスタッフも「いかがでしょうか」と連呼する。スタッフ同士の連呼の声と汗にまみれて働いていた。私は彼に気がついて、カウンター越しに小さく手をふった。彼の方も、会釈してくれたから気づいてくれたことはわかった。

 この、塾の先生(採点スタッフ)とは違う、私の別の姿が彼の成長の役にたったかどうかは知らない。その後も、教室で顔を見た。しかし、宿題プリントの提出とそれを採点するだけで顔を見せてくれる機会は少なくなっていた。

 それから数年後の彼の進路は知らなかった。

 何があったのだろう。クリスマス前に。

 クリスマスにはサンタさんがご褒美のプレゼントを持って来てくれると思えなくなっていたとしても、大人になれば、自分の力で夢を叶えたい。だから、今はその時の準備期間だぞ。なんとかなるさ。と考えてほしかったなと悔やまれた。

②大人の都合へ

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