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①章の3 高度経済成長の罠  守られなかった伝統(議論さえしないで埋もれてしまった事)

高度経済成長の昭和時代を再び回想する。京子は、合併して新たに誕生した春日中学校で、埋もれていってしまった地区の秋祭りについて振り返る。当時は成り行きまかせにした。それは大路地区の秋祭りに行う相撲大会についてだ。秋祭りは10月中旬確か17日だったか21日だったかに決まっており平日であっても、旧大路中校区中が宵宮から半休、祭りの日は全休に決まっていた。秋祭りは、もち撒きと氏子相撲が定番だった。奉納の餅もかっては、田んぼから収穫したもち米を各家杵でつき、一月に一つの割り計算で、一年十二カ月(28日の太陰暦で13ヶ月ある年もあり、その年は十三個)分の餅を、氏神様にお供えして感謝の品とする。祝詞が奉じられ、御供さんというお下がり用の餅を一つ頂き、家族で分けてこれからの一年の無事を祈る。各家庭から奉納された御供さんを除いた餅を境内で撒く。これだって、明治生まれのおじいちゃんに昔聞いただけで、もう確認できないけれど。
小中学校の男子児童が、地区で奉納相撲を取る日でもあった。女の子達は和装用の髪飾りを付けて、応援する。そんなわけで、春日中に統合されても、旧校区の大人たちは、当たり前のように慣例の秋祭り行事を執行しようとした。しかし、統合されて誕生した春日中は普通に平日で授業日であった。旧大路中校区の対象の男子生徒が、授業のある日に奉納相撲の当事者として早退しようとした時、教師に咎められた。しかし、翌年は何事もなかったように秋祭りの慣例から中学生の相撲が削られた。私たちが知らないところで関係者の大人達がどう対応したかを私は知る努力をしなかったけれど、少数派地域の伝統が飲み込まれる事をテーマに是非を含めて生徒会で討論するなどの機会を私達は作らなかった。不便なところにこそ共同体を護るための絆としての行事や技があるとしたら大変もったいない。
前述の京都の学校博物館を大人になってから訪れた時、このような伝統を守るこだわりこそが大切な知恵なのだと感じた。
①章の 4 全国的な少子化 地域の技で丹波の児童をユニークに有名に
丹波の技で小学校入学支援
(できたらいいな!竹篭ランドセルと丹波布のコラボ品を市から贈ろう)
時代は移り、令和元年に丹波医療センターができた時には、大路小学校に入学してきた1年生の児童数は15名である。
再び昭和に戻す。大路第一小と大路第二小が合併した昭和45年には提案主婦の京子は小学四年生であった。家庭の都合で柏原の崇広小にも二年間転校した後、再び家族が生家に戻った年に合併済みの大路小へ編入した。その時28人の2クラスつまり1学年56名の児童数であった。(昭和45年の一年生の人数は知らないままであるが。)
そして現在、令和元年の児童の減りように愕然とする。ちなみに、令和元年の丹波市内各小学校の一年生の数を丹波市のホームページで調べてみた。
青垣町  青垣小 39名 旧遠坂小は廃校になっていた。
それも今回調べて知った。やはり端々の情報に疎いのだ。
柏原町  崇広小 62名、  新井小 12名
 氷上町  東小 40名、 南小 21名、 北小 23名、中央小 42名、
西小 24名
山南町  小川小 13名、上久下小 8名、久下小 13名、
和田小 36名、
市島町  鴨庄小 8名、 三輪小 13名、 竹田小 11名、 
前山小 10名、 吉見小 17名
春日町  大路小 15名、春日部小 16名、黒井小 34名、 
進修小 17名、  船城小 7名 
丹波市の令和元年の小学一年生児童数は男子257名、女子224名
合計481名であった。丹波市ホームページより。  提案主婦京子調べ
全国的にも、こどもは減ってきている。そして丹波市の小学入学児童の数が少ないのなら、竹篭ランドセルを丹波市が入学児童に贈るのはどうだろう?  丹波布を肩紐やら、間仕切りに使って。
さらに、竹篭ランドセルの修理ができる職人さんにも小学校に時折起こしいただくか、できれば常駐いただくぐらいのことができないか。路線バスを使って、すべての小学校から竹細工の技を見学にいけるようなルートを作る。子供たちの日常に、すぐ材料が目に入り、作ってみたい。自分で修理できないかな?そんな教育環境が身近にできれば、創造力豊かな生きる力が育つように思う。
また、竹篭ランドセル贈呈。竹篭ランドセル登校は全国で先駆けとなるなら、丹波は竹篭ランドセル通学を奨励しています!と銘打って、竹細工で全国PRでもすれば、需要も増えるかも。そうしたら、竹細工の職人を目指す子供が誕生するかもしれない。竹篭ランドセルは戦時中に実際作られた事を竹細工の老舗(高知県にある竹虎㈱)のホームページから発見。

京子はこの、絆バス案の草案を将棋が得意で、市政にも関心が旺盛な四才年下の男友達に話した。この友人には、かつて地域通貨未杜の会で出会った。将棋の兵庫県大会でベスト8入りしたという武勇伝を持つている。
すると、彼は市のゴミ収集の事やら、水道事業、市内の3高校の話にもつないでいった。
「市の使う億単位のお金は他人事やない。例えば7億円使う事業やったとしたら、一人一万円の税金をもっていかれると考える。五人家族なら五万円払う税金が増えると考えるんや。つまり市民一人一人が、気げんよう出してもいいと思ってくれる提案であるべきや。課題が山積する中では、優先順位もある。」というような事を京子に聞かせた。
「将棋の勝負のような視点が必要なのだ。」と。そして「地図を見て考えよとも。」ゴミ処理や水の問題は、近隣の市とも広域協働の視点が必要だが現状は欠けている。「今のような規模で、再々設備投資していたら、財政が逼迫する。」と。彼の話を聞くと、丹波市と近隣の市について知る地域独自の社会科目が必要に思えてくる。
高度経済成長時代は、様々なインフラ整備は国が先導してくれたし、人の役割分担もそれなりに賄える人口があった。
引き換え、これからの人口減少社会では様々な拠点が統廃合必須になる可能性は大きい。その為に発生する命にかかわる不便をできるだけ解消する必要がある。特に、食料供給、緊急医療の供給、学習の機会均等、には充分な配慮が必要である。
真心絆バスを提案しようと考えたきっかけは、人口減少時代の論点90 と題した公人の友社発行の本を図書館で借りて読んだ事と、てくてくたんば(令和元年6月発行)の公共交通ガイドを見てからだった。
いずれ、自動運転の車が普及したとしても、手頃な価格になるにはまだ時間がかりそうだし日本全体で燃料の節約も考えねば。
最近、高齢者の運転ミスによる交通事故もずっと増える。その為、免許返納を奨励する声が高まっている。もっともな意見に思える。しかし、公共交通のインフラ整備が先だ。免許返納のあと、出かける機会を減らしてしまった結果、認知状態に陥りやすいと指摘する研究データーもある。元地域通貨未杜の年配の友人から、そのような資料を頂いた。その友人は、二人乗りの低速小型四輪の開発に国も地方も企業も力を入れるべきや。今回のあなたの提案にも書いてほしいと言った。そのような提案も含め、生活を守る条件が整えば、普通運転免許返納も躊躇なくできる。個人的には便利な場所に住んでいて、てくてくたんば掲載の公共交通を使って、十年後の自分が免許を返納しても、医療センターを拠点に丹波市の色々なところへ行けると想像できた。私は医療センターまで十五分歩けば、行ける。デマンドカーを使えば、徒歩が難しくなってもなんとかなる。ラッキー!けれど、端周りの人々は?
例えば、春日町の大路地区の母も、下三井庄から医療センターにバス一本で来れる。だけど、現状、母の通院のお迎えと、お買いもの支援をやってみると心配事が具体的に見えてくる。私も母も加齢性の難聴気味という問題もある。特に母の難聴はかなりのもので、デマンドバス利用の電話を掛ける場合を想定すると、とても心配だ。相手が復唱したら、いいかげんな相槌を打つ。相手が、その時間には予約が一杯だと返事しても、聞き取れなくて、出先でデマンドカーを待つ事があるかも知れないなど不安でならない。母は、少し認知症もではじめている。母が電話を一方的にかけてくると、できるだけ、私の方が出向いて行く。しかし、その私も還暦秒読み。近い将来免許返納したら、母を支える事ができるだろうか?出きる限り路線バスルートと本数を増やしたい。母はまだバス停が近い恵まれたところに住んでいる。
しかし丹波医療センターから市島まで直通のバスはなかったし、市の端っこで困っている方を少しでも助けたい。
廃校になった小学校区を含む路線バスルートに何か面白い仕掛けを若い視点でつくれないかな。
そういえば私より10歳若いパート先の先輩が、「水わかれ公園にポケモンがようでるんやて。」とヒントを下さった。こんなのやっぱり気がつかなかった。人の動きをゲームが誘導できる時代である。「丹波のゆるきゃら・ちーたんを捜す日帰り旅なんていうのも企画できそうだ。」
他に路線バスの停留拠点を小学校区毎に作り、小学校の空き教室などを利用する丹波らしいワークショップなどを企画できないか。
小学校を楽市楽座の拠点に地域通貨を使ってできないだろうか?
例えば、端っこのお年寄りが自家菜園で作った、食べきれない余った野菜や果物、加工食品を拠点に持っていけば、お弁当を作るグループや個人がそれを加工して拠点で予約販売。
野菜を提供したお年よりは、バス代が安くなるとか。
お年寄りの提供した野菜は他の食材と交換できたりお年寄りはワークショップスタッフに買いものを頼めるとか。
自炊がしんどくなった高齢者はワークショップの弁当を届けてもらえるかわりに自分が弁当用の包み紙に製造者名のシールはりするとかもありだ。ワークショップは他に丹波の手仕事体験を展開、例えば竹篭づくり、薪割り体験、薪を使った炊飯。間伐材でペットハウス作り、干し柿づくり、柚子ジャムづくり、味噌づくり、お茶づくり、かき餅づくり、しめ縄づくり、薬草や野菜で化粧水をつくる、染物教室、木の彫刻など、すぐそこにある自然を生かして小学校の余った教室を使って展開できそうだ。 
また災害に備えて、竹材で間仕切りづくり(温暖化の影響で自然災害が多発傾向なので被災した際に便利な間仕切りとしてや、家屋修理の際の仮設材にも使えそう。薪も災害時の燃料として備蓄する。ワークショップで使うお弁当用食材、飲料水等の備えも緊急時の食材にもなる。たまにはワークショップで薪を使って炊き出しする日があったらもっといい。(冷蔵冷凍保存品は停電時には難しいけれど…)(薪や間仕切りは他の近隣地域に貸与することも視野にいれる。)
ワークショップの運営は主にリタイヤした団塊の世代に活躍してもらう。当地の個人やグループは勿論、近郊の都会等からのグループ出店も可能にする。
毎年丹波年輪の里で開かれる「アートクラフト展に出展する人達等に声かけすれば夢ではないと思う。出展場所の提供、使える田んぼや畑、里山情報、丹波の収穫物等を安く提供するだけで可能かも知れない。勿論場所代や管理費をもらう事を考え、路線バスとの提携、バス会社からの宣伝もお願いする。
課題として80代後半の母の友達からこんな話も聞いた。小学校の児童数が激減していて、広いグラウンドの雑草をひく事も難しくなってきていると。
そこで草引き等学校管理に一時間費やしたら、出展者の場所代を一日ただにするとか。ワークショップ体験のお客様の場合はポイント割引などを考えるのもありだ。小学校の児童数減のため統廃合というのはできる限り避けたいが、どうしょうもなくなったら、児童数の少ない近隣小学校が複数校集まり、学期毎に使う校舎を決めて順に回るというのもありかも知れない。その送迎は路線バスか市バスだ。そしてそのバスは昼間、他の交通難民の足や端っこへの物資供給バスにできないか。昔は学校に購買部があった。用務員さんの宿舎があり常駐されていた。例えば購買部にインター-ネットスペースを設けて、高齢者が使い方の指導を受けながら、ネットでお買い物ができるようにするのもありだ。できたら、簡易な市役所窓口としての機能も欲しい。また災害が発生した場合に陸路が途絶える場合も想定すると、ヘリポートやドローンポートも近未来には設置したい。
ワークショップは売り上げの何割かをバス会社に払う。バスはお客様をつれてきてくれる足であり、広告宣伝もしてくれる。自己消費しきれない野菜など農産物をワークショップに無料提供した人には、乗り放題バスポイントをバス会社がプレゼントする。この連携に地域通貨を使う。
前置きだけであふれそうだけれど、高齢世代の知恵や技が埋もれぬうちに、若い世代に紹介したい。そんな思いをフイクションのお話に託すわけである。

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