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③章の1 竹生の孫

 達也は医療センターから徒歩で5分の柏原町内に住んでいる。

 期末テストが終わった土曜の午後に達也は医療センターのあるバス停から大路の野瀬方面行きのバスに乗り、竹生の住む鹿場を目指した。医療センターのバス停までは歩いてきた。乗った路線バスは中山鹿場口のバス停に十三時半頃ついた。バスの中からも竹生が迎えに来てくれているのが分かった。バスを降りると、竹生のそばにいる若い女性がにっこり達也の目を見て笑った。「孫の文江です。おじいちゃんがいつもお世話になっています。」文江が軽の赤いワゴンで迎えに来てくれていたのだった。迎えの二人は動きやすい防寒着を着ていた。いかにもこれから竹を切り出すにふさわしいスタイルだった。

「京都の大学に通っている孫が丁度帰省していてね。一緒に来てくれた。歩くと家まで一キロ半あるからね。」

竹生の家に着くと、竹生の奥さんが出てきて、「竹生君いつもありがとう。今日は君に会えると思って楽しみにしていたの、豚汁沢山作るからね。竹林から戻ったらゆっくりして帰ってね。」と言って微笑んだ。七十代半ばにしては若く見える。小柄で優しそうな奥さんだ。

「夕飯も一緒にできないかしらね?門限とかある?」と竹生の孫娘文江が尋ねた。

「門限というより帰りのバスが土曜日は少ないから。黒井駅までのバスの乗車時刻が16時40分で今日は終わりだからそれまでに。」と達也。

「それじゃあ随分慌しいわね。うーん。」と言って文江が左頬に手を当て考える仕草をした。

「今日は私が柏原まで車で送っていけるから、時間がゆるすなら、ゆっくりなさい。虫が好きで来春には里山探索するつもりなんでしょ。その企画を聞かせてよ。私も来年のゴールデンウィークに虫取り探検につき合わせてほしいなって。私の大学の仲間と一緒になんだけどね。」

「えっ、はい。ではお言葉に甘えて。一応門限午後十時でお願いします。」とはにかむように達也が返事をした。

「はっは。几帳面なあいさつ。明日は日曜日なんだし泊まってけばと言いたいところだけど。ガールフレンドとデートの約束でもあるといけないから。きちんと間に合うようにお送りいたします。ご安心ください。」と言って文江が笑った。そして「もっと気楽にしてくれるといいよ。」と文江が付け足した。

その後、達也、竹生、文江の三人で竹伐採用の鋸を携えて竹やぶまで歩いて行った。竹林には真竹と孟宗竹があって奥の雑木山とつながっていた。

「これが孟宗。主に孟宗竹を筍として食べて、竹細工には真竹を使う事がほとんどだな。」と竹生が言った。

「どうして、この時期に伐採するといいのか知っている?達也君。」と竹生。

「はい。秋には竹の生長が止まり、虫が入りにくいんです。」と達也が答える。

すると、「さすが、虫がからんだ話だからね。」と文江がちゃかした。

「私の友人は鳥の巣づくりに興味があって、研究して卒論対策するって言い始めたの。鳥がどこにどんな巣作りしていたかを写真に撮り、その周囲の環境を調べる。巣の強度、材料を調べる。それを人工知能に学習させるらしいわ。」

「人間と鳥の共存共栄を図るのと、人間のものづくりについても新たな視点を探る。環境に配慮した家づくり。自然災害への対策にヒントが得られるかもとか言っている。」

「それで、丹波の里山探検を来春から一緒にすることになったんだけど、毒虫対策とかしないと危険だからね。ここは虫博士が必要だなと思って…」

達也は、文江のマシンガントークに少し慣れてきて、相槌を打った。

 文江は、ややぽっちゃりした中背体系で、セミロングの栗色の髪を後ろで束ねていた。色白で口元が可愛かった。ほとんどノーメークのようだったが、薄紅色のルージュがのっているのか角度によっては光って見えた。今日は比較的暖かな日差しが竹やぶの中にも差し込んでくる。

 三人は30分あまりで伐採作業を終え、自宅まで、真竹三本を引き摺って歩いた。竹を納屋の入り口まで放り込むと文江は、「それじゃ母屋のおばあちゃんを手伝うからまた。」と母屋に消えた。

 持ち帰った真竹を竹生がまず、枝をナタで除き、幹を鋸でひく。転がりにくいように、セットできる作業枠のようなものに竹の幹を一本載せる。節のところを避けて、十数秒で切断した手さばきは流石だと達也は感心して見惚れた。

 次は一メートル未満に切断した竹を、縦半分に割る。さらに半分と、そのまた半分と割っていく。割ってそこそこ細くなった竹を横に持ち替え、なたで身6と表皮側4の割りで、丁寧に割る。表皮があるほう側が丈夫なのだそう。このあと、幅を決めてさらに削る作業や面取り、せんがけといって厚さを揃える作業をしてはじめて竹ひごが作れるのであった。

「今日は、これ以上ひごづくりに時間を割けないから、前に作っておいた竹ひごを使おう。」そう言うと、竹生が竹ひごの束を抱えてきて作業机の上に置いた。以前に作られた竹ひごを使って虫かごを竹生と一緒に納屋で作る。

 この納屋には懐かしいダルマストーブが置かれ、大き目の鍋に湯が沸いていた。奥さんが用意しておいてくれたようだった。

「網代で編むか…」と竹生が独り言を言った。

 竹生の指導で、なんとか出来上がった虫かごは結構大きくて立派だった。「この工程の中でも、ひごを組んでいくのを編組作業という。見た目を涼やかに編んだり、しっかり堅牢に編んだり、使う道具によって編み方を変える。奥が深い民芸だ。しかし手間の割には金にはならん。昔は冬場の手仕事だったが、もう編む人は年寄りばかりで数えるほどだ。」と竹生が残念そうに言う。

 そこへ、竹生の奥さんの久恵が納屋に入ってきた。「夕方になったらやっぱり冷えるね。さあ、たくさん豚汁こしらえたから、母屋に入ってあったまれ。」達也と竹生は促されて母屋へ移動し食卓を囲んだ。達也の向かい席に文江と竹生が並んですわり、竹生の奥さんは達也の横の椅子に座った。

 奥さんの豚汁は大変おいしかった。達也はお変わりを聞いてくださったので、二杯お代わりした。他には玉子焼きと、風呂吹き大根、エビフライ、ほうれん草の白和え、白菜のお漬物に白いご飯をごちそうになった。

 達也は来年の5月ゴールデンウィークに文江とその友人とで大路地区の里山探検をする事になった。更に市島に通じる神池寺へ登る予定を立てた。友人は山南町出身で薬草にも詳しいらしい。

「桧皮皐月って娘。美人だぞ。桧皮って苗字は神社に使う桧皮葺の桧皮を採る仕事をしていた旧家の証らしいわ。鳥の巣に興味があるのもなんとなく通じるものがあるんやろね。」

そして、達也は文江の運転で柏原の家まで送ってもらった。門限の五分前に帰宅。「今日は、本当にありがとうございました。」と達也が玄関前でお辞儀をすると、文江が「こちらこそ。おじいちゃん、おばあちゃんが楽しそうで、君のおかげよ。」と言った。

「まごころ絆バスと達也君の話は秋祭りに帰省した際に、聞いていたの。それで、ちょっと会ってみたかったんだ。鹿場はいいところでしょ。私はおばあちゃんに丹波の食材や加工方法について色々教わりたくて、よく帰省するのよ。おやすみなさい。じゃあ来年またね。」

達也は帰宅後、風呂に入りながら、今日の出来事を振り返っていた。

 色々な物がプラスチックでできている時代に育ったけれど、これからは、環境に配慮した植物由来の容器の時代にもどるかも知れないとふと思う。竹材はその代表だろう。竹で容器のほかにも作れるものがありそうだ。とも思う。

 文江は丹波市内の高校を卒業後、両親と一緒に、京都で暮らしていると車の中で言った。

 桧皮と言う 友人が鳥の巣について調べた結果を人工知能に学習させようとしている…の話にも興味が沸いてくるのだった。

 もうすぐ冬休みだ。部活のみんなとのクリスマス会が十日後に企画されている。インターアクトの仲間は大半がまごころ絆バスの買い物支援ボランティアに登録していた。そして、絆バスの事務局から、支援する上で気になった注意事項をリストアップしてほしいと部が依頼を受けていた。

 クリスマス会で、自分の新たな関心事の紹介がしたいと達也は思った。また、他の者にも多様な出会いと発見があったに違いない。部活仲間の話が早く聞きたいとも思った。

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