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③章の3 文江の友人 桧皮皐月

 桧皮家は昔、皐月のひいおじいちゃんの時代まで、桧の皮を採集して、社の屋根を葺く仕事をしていた。皐月は幼い頃、随分逞しそうな曽祖父の写真を見た事がある。皐月が小学生高学年になった頃他界してしまったが、その曽祖父の武勇伝を子守唄代わりに聞いて成長した。その逞しい曽祖父の写真が収まっているアルバムの横に数種類の鳥の巣写真集を中学生の時発見したのだった。曽祖父の残してくれた貴重な資料だ。曽祖父は山仕事をする際、発見した鳥や鳥の巣を写真に収めた。はじめは鳥を敵に回さずに桧皮を採集するためだったのだろう。そのうち鳥の生態に興味を持ったらしく、ところどころにコメントが書いてある。発見以来皐月の宝物だ。この鳥の巣について研究がしたくて、大学で勉強している。文江とは高校の生物班で友達になり、同じ大学へ進んだのだった。皐月も今は京都の大学の学生寮に住んでいる。

 皐月は「鳥も人も森や野にある自然の材料を使って家を造ってきた。築きやすく住みやすく、不用になった際、自然に負荷のない建築素材にこだわった家を造る人になりたい。」と言うのが口癖だ。その答えあわせに人工知能を活用したいと考えるのだった。

 翌年の五月、ゴールデンウイーク初日の朝、達也と文江は医療センターで再会した。そこへ、桧皮皐月が山南方面から路線バスでやってきた。その数分後に達也の部活仲間の和也も市島から電車とバスを乗り継いでやってきた。和也は、少し照れて、いつものお調子はまだ不発だった。達也と文江が、其々の友人を紹介すると、文江の車で、春日町下三井庄の森地区まで40分程度かけて走り、麓に駐車した。そこから、林道、神池寺登山道を徒歩で登る。

 山ツツジや新緑が綺麗だ。見慣れない花など写真を採りながら登る。アケビや藤の弦が巻きついた木も林道から見られる。雑木林。そして桧の林だ。

 桧皮皐月が「弦が絡むと木を枯らすから、杉や桧など育てるためには、邪魔になるのでナタで払う作業が大切なのよ。山師は大きく育つのをただ待っているだけじゃない。下草刈り、枝打ち、間伐。そうやって建築材として切り出すまでの長い年月管理をしてきた。職人は一代ではできないのよ。桧皮をとる樹はもっと長い年月を生きる。樹齢80年以上の樹から10年とか20年間隔で採る。ここらへんは所有林ね。」

「なんで分かるの?」和也が尋ねる。「雑木林ではないからよ。」と桧皮皐月と文江が応えた。

「ほとんど桧ばっかり。」「あっちは杉林。」と文江。

「今の季節は桧の花粉も飛ぶから、花粉大丈夫?」と皐月。

「杉花粉は?」と達也。

「杉はもっと早い時期ね。」と皐月。

「私の母なんか山師の孫だから大丈夫だと思っていたら、40代で急に花粉症が出たらしくて、春の山には入れないの。それで、たけのこ狩りも、わらび採りも億劫になったの。母と里山散策が一緒にできなくなった。けれど、文江と高校の部活で知り合ってこの季節はよくこうやって合流してたって訳。」と皐月が文江に笑顔を送って言った。

 四人はところどころで休憩をはさみながら、神池寺にたどり着いた。神池寺付近は、雑木林の他に、榊やしきびの林も見受けられた。

 お寺はかなり大きかった。昔は天台仏教の教えを習得するために多くの修行僧を育てた拠点だったのが伺える。市島町側からは車で登山できるようだった。和也が「家からの方が近いよ。このお寺。」と言った。

「鳥の巣を探して、採集はしないの?」と達也。

「今日はバードウオッチングのみよ。どんな鳥がこの山に住んでいるか探っているだけ。交尾のための巣づくりだったり、出産、子育てのための巣だったりするのだけど、その時期に人間は手を出してはいけないの。彼らの生活の邪魔をしないのは鉄則よ。警戒して巣づくりを中断する傾向があるのよ。晩秋に不要になったものを探して歩くの。草むらやら、枯葉の下に落ちている事が多いの。幹のくぼみにできた穴なんかを観察しておいて目安を立てるって訳。」

「人間は家を守るために被災することもあるけれど、まず命を守るために鳥は築く場所を選ぶ。危険を察知したら、巣作りを中断もする。潔いとも言える。人間も本来はそういう暮らし方をしていたと思うの。けれど、社会的な繋がり、経済的な背景、思い出など他に大切だと思うものが沢山関わる家だから複雑よね。」と皐月は言った。

 今度は達也が「鳥の巣の研究に人工知能を使うって聞いたけど…」

「ええ、これからは様々な分野で人工知能のお世話になる時代ね。私は主に建築資材として解体後に処分しやすい素材を探している。日本は人口減少時代と言われるけど、世界的には人工は増えている。自然由来で、常に育てる事の可能な材料を使って築きたい。貴重な資源の奪い合いはごめんだわ。しかも気候変動で住みやすい場所が変わって行く時代には、加工が簡単な建築材でないといけない。」

「また鳥の目を使ったような建築方法の時代にもなるんじやないかと考えるの。例えば、ドローン操作で木や草を切り出し、組み立てにもドローンのような機械の目を使う。鳥の巣を解析する事で、資材の運び方や組み立て方、強度を人工知能に学ばせる事で応用できないかと。」

「また別の視点から言うと昭和に作った道路インフラの修繕はかなり難しい課題になりつつある。幹線道路は残しても、枝葉の道路はなかなか維持しにくいかも。そうしたら、物流が空路中心の時代になるかもしれない。各家にドローンポートを設けるというような発想も大事じゃないかとか。」と皐月が言った。

 達也は、皐月のように近未来を予測想像しながら研究テーマを持ち、社会に役立つ仕事がしたいと思い始めていた。

 神池寺登山の一行は、夕方市島町の方へ下山し、和也の家で一泊した。和也の家にも今は嫁いだ姉がおりその部屋が空いているからと和也の両親が歓迎してくれた。

 その晩は市島の有機農業発展のきっかけとなった大学の講師の話などを和也の父、荒木和夫が語ってくれた。

 和也も含めた一行は翌日タクシーやら電車バスやらを乗り継いで、春日町鹿場の細見竹生の家に戻ってきた。ここでも、市島町の味噌漬け屋やら作り酒屋の話で盛り上がった。文江の祖母久恵は市島町から春日町鹿場に嫁いで来た人である。久恵の話では、「市島から春日町の春日部→国領→大路の鹿場でね。一本道やから、一〇歳先輩は、リヤカーで嫁いで来た人もおるんよ。いやな事あったら、いつでも帰れる思って…まだ居るけど…」と笑った。

 そして、また味噌漬の話になって、文江自慢の鉄砲漬が食卓に上った。

 春に採った芹、夏に採った瓜、実山椒、秋に採った紫蘇の実、などが贅沢にひとつの味噌漬物になった逸品である。

 文江は「この漬物を丹波から失いたくないのよ。他に茄子の芥子麹漬けとか、もう大好きだから、でも、味噌の発酵を促すために昔ながらの作り方だと、包み寝かすむしろなどを置く、それから器を置く場所がなかなかない。考えると昔の納屋は必須だったと思うわけ。それで田舎の技を育む家についても拘りがあるの。だから皐月の研究する鳥の巣から環境に配慮した家づくりにも惹かれるって事ね。」

「俺は、竹生さんから教わった竹細工に今までとは違う可能性を見つけた気がします。手仕事技を人工知能に分析させて、巨大なものから、ミクロなものまで、設計できるのではないかと思ったんです。作り手は機械に頼る一方向ではなく、パーツを多くの人々が簡易な器械や手仕事で作り、人工知能と協働で組み立てると言うのはどうでしょう? 竹ひご材由来のレゴブロックのような物を作れたら様々に組み合わせが可能だし、解体してもリユーズできそうです。」と達也は目を輝かせて言った。

「達也君は知っているかしら? 桧皮葺に竹釘を沢山使う事を。」と桧皮が尋ねる。

「いえ。知らなかったです。」と達也。

「竹釘は仕上げに炒って乾燥させると強度が増すのね。なんと打ち込んでから60年耐えるらしいわ。」と今度は文江が言った。

 その後、達也は、大学に進学して人工知能とものづくり、そして経済と平和の関係について学びたいとずっと考えていた。

 一方、和也はこの日を境に文江の祖母から丹波の食品加工にかかわる様々な知恵や文化を教わっていった。

 和也は文江の祖母久恵を訪ねて週末は良く電車と路線バスを乗り継いで鹿場にやってきた。絆バスボランティアでもらった乗り放題パスを有効に使っている。文江の祖母久恵は市島町出身で、作り酒屋と親戚だったこともあり、市島町に住む和也と馬があった。

 そして和也は味噌、醤油などの加工に詳しくなった。山南町由来の桧皮から薬草の知恵なども学び、味噌漬けにも工夫をこらすなど、様々な加工品を企画開発するようになった。そして高校卒業後、調理の専門学校に進み、やがて丹波市の学校給食を担う企業に就職した。週末休みや夏休みなど学期間休みがある仕事だ。

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